今回は、紀州犬第三弾、三重紀州犬と弥九郎犬伝説です(238)。三重県の紀州犬の祖犬と系統に迫ります。
参考文献
○愛犬の友編集部編「犬の百科事典」(誠文堂新光社、1951)
○愛犬の友編集部編「日本犬大観」(誠文堂新光社、1953)
[音楽] こんにちはチコまろチャンネルです今回は 前回の予告通りの三重県の州犬と伝説の薬 拳についてお話ししていきます今回も古い 書籍を引用していくのですがまず州犬全般 について記述されていた戦後昭和20年代 の同時の書籍から見ていきます昭和26年 に発されたのと編集部編の犬の百時点です その中の渡が執筆した犬の種類と性能の 日本県中型県の項目です本州の西三重と 和歌山には主としてイシ量に優秀なるもの が保存されており一般に奇襲犬と呼んで いるさらにこの犬の熊野方面のものを熊野 県と言い東室大治方面のものを大治県と 呼んだり日高や有田軍境白ま山脈を中心に 昔より白犬が多くおるものを日高県とも 言うのであるまたイノシシを狩る犬で奇襲 の中でも頑丈型をシ犬 荒野山の奥から奈良県境方面の鹿お軽犬で 鹿を追うために体もやや細で身軽く スピード型なるものを犬などと出所や目的 によっての呼び名もできて いるこのイラストは掲載されていた和歌山 県さんの犬です前回の和歌山の犬には あまり白い犬がいなかったのですが三重県 ではどうでしょうかここからの本題の引用 は昭和28年に発見された愛犬の友編集部 編の日本県体感ですそれではその書籍の中 の高木光が執筆した中型紀州犬三重の犬の 項目を見ていきますまずは八郎剣伝説に ついてです三重の紀州犬伝説には昔八郎拳 という途方もない強い犬がいてその地が 伝わっているとされており奇襲犬は両に 鋭いと言い伝えられている八郎拳というの は300年前に紀州の下村坂本現在の三重 県南室軍で八郎という漁師に買われていた 狼の子であるとされているその八郎という 物については大阪の人においても人の甲を 立てた鉄砲の名人で自分の屋敷から峰を 走る鹿を打ち止めというくいの腕の持ち主 であったと言われる残念ながらその薬 Earth拳の特徴は書かれていません でしたこの薬Earthが神宮に行った 帰りのこと日が暮れて小松という健子な 山道をたどる途中のことである偶然にも 傷ついた狼に出会ってその狼の願いを 受け入れ傷の手当てをしてやることになっ たその代わりに子が生まれたら1もらい たいと言って別れたことからこの物語は 始まるのである八郎はその後そんな約束を 忘れていたのだがそれから半年ほど経て その狼から子が送られてきたそして薬 Earthはその子犬にマと名付けて育て あげたのであるしかしその万はイノシシや しかも立ちまち食い殺すほどの猛犬となっ
たので人呼んで薬老剣と持てはやされたの であるその後のこと神宮の殿様の佐野の 巻狩りで大いを仕留めて殿様の難を救い八 とども褒を賜る光栄に欲したというしかし その後日八郎の叔母が狼はその獲物の数千 引きを取る時飼主にもかかるから早く始末 せよと話しているのを漏れ聞いたそしてマ はその晩に別れを惜しみながら山にその姿 を没してしまったというのがその由来の 大略であるそんな伝説の残るこの地方に 八郎拳の再来とされる名剣が現れたので ある明治より昭和の初期にかけて坂本の 西望という狩猟の名人がおりイノシシや しか熊などを戦闘を以上取ったのであるが この名人の犬は代々八郎拳の血を受け継い だ独特の骨を持った犬であったというので あるこの話はこれだけでして何よりこの 名人の犬の写真や詳細がないのが残念です 次の伝説はカバ明人についてそしてこの イラストは明人様と白犬を描いた絵画の ものです三重も和山も同じ木3脈の大軍山 を用しているので必然この大軍山が主の 中心地となりここに伝統を誇る奇襲犬が三 し一百清掃の間狩猟に刺激されて現在に 及んでいるのであるよって84年前の体制 奉還で軍制度となり和山と三重とに地名の 故障が変わっても三重の紀州犬も和山の 奇襲犬もその祖先権が同祖先であることに 変わりのあるはずはないのである三重の 八郎拳も和山の大治県もその当時はどんな 外房の犬であったか今はしぶよしもないの であるが和山の金剛無事の国法入明人の 絵画は今よりおよそ700年前のものとの 推定であるがその絵の中の白い両肩は実に 立派な外房を備えたものである犬は確かに 立派に見え ますその一分の隙もないつましいには他年 の首頭の間に習得したであろう両技が英知 となってひらめき三角目の型や耳の 締まり死体の伸びと軽快さどこにも贅肉を みじんもつけず誠に正官無比の感じを受け うるのである異常部で荒らせられる明人様 の膝頭まで両の対抗があるように見えるの で一尺6寸くらいもあろうかそれが痛みを なして明人様に即行する姿は奇襲犬のつめ どつきせぬ醍醐をつづくと味わえるもので あるさて次に三重州犬の犬について日本件 保存会の第4回全国点の文部大人象を獲得 した三重の富士の祖母である春は坂本の奥 奈良海の神川で富士の父史郎を産んでいる が春は奈良戸川さんとのことであるその春 などは風貌がどこなく画中の明人様の白犬 を忍べものを持っていたように思う現代の 三州犬の主流としての流れは渡軍を中心に 発する大内山代系のイシ市両の流れである
それらはいずれもイシの大物の狩猟を対象 に飼くせられていて新山有国の狩猟に 鍛え上げられてそのつましいも筋骨も打て ば響くほどに張のある者どもであるそれら は都会地の検者に育った白面採用の巨 characterなるものとはそのきを にするもである三重の優秀拳の系統を たどるとそのほとんどが大内山代系に 繋がりを持つものである次に三重を大内山 白系についてそのそ犬を作り今日の基礎を 作り上げた厚労の人は三重県渡軍を内山の 岡本清作である岡本市の半玉と奈良戸川の 白系師犬とを後輩して太郎というお犬を 出産したその太郎と玉の間にロシアができ てまた判が生まれた本は対象12年頃に 状況のため大内山の領有米倉と太郎氏に ロシアと玉を譲り渡されたそうであるが その後ロシアが村内の鶏を襲うことが 仕切りとなり同志はついに管理に困り果て て同村の米倉孝太郎氏が上って管理する ことになったこの大内山の当時ではロシア 蜂乃木白その他の誕生を見て今日の大内山 白系の根幹が出来上がったのであるこの イラストは白号まだ奇襲犬が天然記念物に してされ前の昭和5年当時の写真のもの ですもう1つのイラストはこちらの老の 写真ですこの犬は大豪で昭和10年のもの ですこの大王は内木の小の元にあって イノシシ涼10年の古豪とは実に妙を終え たものだったという今は老後二見ヶ浦の 佐藤しに移行ているがその風貌は祖父の のぎあるいはしのぐもかもしれない続いて 大内山冒について北のにも大内山白の1つ の流れがあるこの系統は対象15年今より 27年前の造林家であり狩猟家でもある船 のア氏が大内山より親子後輩をして妊娠中 のメスであるさを入手し伊勢宮川の上流 大杉谷の神秘教へ入山して先行の知らぬ 原子輪の中でその3を唯一の伴侶としての 生活から始まる初代の3以来今日までに 親子後輩を3回兄弟後輩を3回経て現在の 雄である鉄その子のメスである万に至って いるいずれも祖先権の良き性能を受け継ぎ 井の大物量によいということであるこの イラストはマゴの2歳当時のものです ずっしりした感じに見えます次にその他の あか系について大内山白系の他あ方面の 白系がやや一系を片作っているあは判決号 のいた木元よりその昔鬼が住んだという 童画の鬼ヶ城の期間を右に見て峠ごに知り のであり散歩を頂上たる大軍に囲まれた陸 のことであるあか系のものは体育は純たち で顔形はしまりよく大半がしをのもので あるこの系統のそいわしの大王の逆は大小 10年頃であったそうであるがその頃には
年間50等くらいのイノシシしかを仕留め てきたと申されているから1台の明星でよ 風味した木本の判決号にもおさおさ劣らぬ 一物であったと見える木本の判号の有名は あまりにも有名で紀州名剣の語り草にも 歌われ称えられているこの判決号が晩年の 昭和6年頃に三重の松坂での地建強心会に 出陣しているさてここまで祖先や系統を見 てきましたが次は昭和28年当時の状況に ついてです紀州犬が新山有国の抜Proに よって培った死体の金性日と英法を恩がな 匂いに包む外房とは全く日本県の新骨頂と 思えるのである不幸にして都市に漁られた 運命の犬は展覧会の入賞権たらことを目的 に飼育され入賞後は岸として愛願されるの であるから役による頭脳の訓練も金権の 発達もあったものではないその子孫は白面 採用の巨character拳のみを作り 奇襲犬の本然を失うに至りついにはいつと はなく滅亡し終わっているのが今日までで ある三重の大内山に築き上げられた大内山 白系の行員が他の工房およそに34年の教 に至るもなおその純血と性能と連綿と続け て栄えをなすことはその根幹を築いた人々 の子も実にであるそしてその後を実際に銃 を取って新山有国を害獣の駆除に犬と共に 地し奇襲犬の優秀なる性能にいよいよ剣を かけ有料奇襲系を保存普及された美重の 領有会の方またその他の心ある人々の努力 によるものである最後に三重紀州犬の まとめです三重大内山白系のトクダイソは 奈良の戸川であり若山の中浦号色川の名け 義清系の犬は三重を大内山白系とそう 同じくしておりそのそは三重大内山の人が 作ったのであるから誠に興味の深いことで ある三重の奇襲系を大略で系統別にすると 大内山白系大内山冒険その他の諸系統と なるのであるが各系統それぞれが戦前にも まさる基礎を持つものであるから今後 いよいよ流星をきたすことと思うこの まとめが筆者の展望でした昭和後半30年 平成30年そして令和の現在へと至るわけ ですがその後はどう続いていったの でしょうかイラストは昭和28年当時の 大内山白系のものですが三重県のものは 白系ということもありこの当時から皆が 白色になっていますそんな白い州犬たちを 見つつ次回予告です次は岐阜のみ芝犬を 紹介したいと思います身芝は他の芝犬と 異なり独特の赤とされていますそんな異業 の芝犬の昭和28年当事を見ていきます さて今回の犬はいかがでしたでしょうかの 襲犬よりも白い犬ばかりだったのが個人的 には面白かったです獣を追って野山を かければどんな犬でも狩猟権のような体格
や性質になるのか愛がん権同士で繁殖さ せると狩猟権の性質は遺伝子からも消えて いくのか環境や遺伝がどのように関わって いるのか興味深いところです自信が起きて も寝ている犬を飼っているチコまろ チャンネルでし た H