今回は、秋田犬の第二弾、大館犬です(224)。戦前の記述から、秋田犬の闘犬時代を探ります。そもそも大型日本犬は過去から存在したのか。

参考文献
○高久兵四郎他「日本犬の研究」(成光館、1939)
○愛犬の友編集部編「犬の百科事典」(誠文堂新光社、1951)
○愛犬の友編集部「秋田犬読本」(誠文堂新光社、1957)

9 Comments

  1. 50キロのイヌって相当デカいですね…しかも日本犬の血筋で。一体どんな姿をしていたんでしょうね

  2. 1980年代初頭まで郡部には様々なサイズの野良犬が居ました。

    むかしは養豚業の為に、町のあちこちに残飯捨てのポリバケツが置いてあり、その周りに野良犬が良く居ました。

    話は変わりますが、むかしの秋田犬は今と違いぶちマダラの毛色の個体が主流でした。

    いまみたいに、赤・虎・白の毛色は昭和50年以降に多く成ってきた様に思います。

    耳が垂れている、半立ち、方立ちの秋田犬も良く見かけました。

  3. 闘犬にされた方の秋田犬は現代の秋田犬と体格的に近いのでその血が濃いとばかり思っていましたが、ほとんど使われていないのですね?
    土佐犬は現代では40キロ台の中型、80キロほどまでの大型、100キロ級の超大型の三階級に分かれていて各自独立した系統になっていますが、この時期はまだ四国犬から完全に分かれてもいない頃でしょうか?小さいですね。

  4. 気になった点をいくつか
    ①13・4貫(約50Kg)は、昔の伝聞なので、話し1/10です。
    ②改良初期の土佐犬であれば、負けがこむのもありえる。実際、高知の地犬(四国犬の原型)と大舘の地犬(秋田・岩手マタギなどと称する犬)の対戦では、秋田側の分が良かったとの事。
    ③平成になる前位までは、大舘の宮本系が古典秋田犬などと名乗り、繁殖しており50Kgオーバーの個体もあった。
    丁度、出羽系やアメリカンアキタなどと言われる系統に外観はそっくりであった。
    動画がUPされてます。

  5. 因みに、現在の秋田犬は飼育頭数も少なく、トレンドと近親交配からか、玉上がりや股関節の疾患、小型化が進んでますね❗️骨格が細く、ひっ潰して中央に寄ったような、キツネ顔になってますね‼️
    実際、宮城県北の某ブリーダーなど股関節の疾患が多いですね。
    まぁ、今の秋田犬に落ち着いたのが、昭和50年位ですから、固定化する為に北海道犬・大振りの甲斐犬・・・など交配してる訳ですから、小さい個体が出てくるのは、当然なんですが。

  6. 平成になる頃位まで、宝塚市で秋田マタギの繁殖をされてる方がおり、写真があったのですが、紛失してしまい残念です。
    姿形は今の紀州犬などの方が余程、洗練されており、日本犬ぽいです。
    雄で毛色は、黒でないラブラドールのような感じ(うまい表現が見つからずゴメンなさい)、体高63cm・体重32kgだったと記憶しています。
    一見、立耳・巻尾の雑種のようでした。

  7. 土手犬は初耳です。
    過去の日本には予想以上に多様な犬がいたという記録があるのですね。
    今の日本犬主流6犬種は、毛色も系統も戦後に生き残った系統から始まり、あまりに画一的にして元の多様性を捨てすぎたのではないでしょうか。

  8. 小学生の頃、割と普通に友人宅に子牛級の大きな秋田犬が居ましたネ‼️
    足の裏の大きさがセントバーナードと大差なかったです。

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